こんにちは。
今回はまいまいまいごえんの考察をしていきたいと思います!
※二話までのネタバレが含まれます。
ゲームタイトル「まいまいまいごえん」について
「まいまいまいごえん」で検索すると、「まいまい迷子えん」とよく表示されます。
ゆぅろぴあに迷い込んでしまうことを「迷子」、またゆぅろぴあはさびれているながらも遊園地であることから「えん」とつけられたのだと考えられます。また、「迷子」をひらがな表記にしたのは幼い印象を与えるためと考えられます。
この投稿をInstagramで見る
では、最初の「まいまい」ですが、単に「まいご」の「まい」を語呂良く繰り返しただけとも捉えられますが、「まいまい」という言葉は、カタツムリの別名、うろうろするなどの意味があります。
カタツムリとは無関係にも思えるかもしれませんが、タイトルロゴを見ると、うずまきになっているところがあるので、着想を得ているかもしれません。うろうろとする意味もゆぅろぴあに迷い込んでうろうろする様を表していそうですね。
これはさらに深読みになってきますが、マモルの前髪や、車いすの車輪部分が渦巻になっています。これはまいまい=カタツムリと関係あるのでしょうか?
タイトルに絡んでくるとなると、物語に深くかかわってきそうですが、マモルは二話で脱落してしまっています。とはいえ序盤の脱落者が後半で復活することはデスゲームではあるあるなので、今後の展開が気になるところですね。
ゆぅろぴあとは
ゆぅろぴあという名前の元ネタ
ユートピアの「ト」をサンリオピューロランドの「ロ」にしたのではないかと思います。
この投稿をInstagramで見る
ユートピアを作品の雰囲気に合わせて舌足らずに表現しただけとも捉えられますが、二話のブロックアンサーの問題に「ピューロ」が「ピュア」と「ピエロ」を掛け合わせた言葉とあるのでここでの「ロ=ピエロ」ではないかと考えられるのです。
ピエロ(=道化師)は、滑稽な恰好や言動などをして他人を楽しませる者の総称のことを指します。
ゆぅろぴあは全然人を楽しませていませんが、たそがれ横丁の出前タマゴやブロックアンサーでの司会者の大根役者感は道化のそれを思わせます。
また、岡田たちが、脱出しようと頑張っている様子も、カエルタマゴ、または黒幕にとっては道化のようなものなのかもしれません。
ゆぅろぴあの意味とは
一般的にユートピア(=理想郷)から連想する天国のようなイメージとは違い、不気味でさびれた遊園地であるゆぅろぴあ。
しかし調べてみると、ユートピアの本来の意味が、格差がない代わりに人間の個性を否定した非人間的な管理社会の色彩が強いらしいです(Wikipediaより)。
まさにゆぅろぴあですよね。公式のゲーム紹介の「多様性を肯定し受け入れる物語です。」とは裏腹に、実際のシナリオでは、園児たちの個性を否定するかのような演出が多くみられます。
この投稿をInstagramで見る
ゲームのルールである「参加料メダル一日一枚」も、子供も大人も関係なくきっちり搾取されることから、格差のない世界観を表しているようです。(となると赤ちゃんは「タダ」なのが気になります。)
また、ゆぅろぴあの住人?であるカエルタマゴもその世界観に合致しています。みんな同じ姿をしていて、表情を変えることがないカエルタマゴ。 無個性なカエルタマゴと個性豊かな園児たちが対のように描かれていて、不気味さを増長させています。
「デミ」というカエルタマゴの語尾と一人称
「demi」はフランス語で「半分」や「部分的」の意味。一見無関係に思えます。
しかし、カエルタマゴの見た目についてよく見てみると…。たまごのようなフォルムに、オタマジャクシのような尻尾、豹変時に実は耳のように見えていたところが目、模様の切り返しの部分が大きく開く口とみると、カエルのようにも見えませんか?
たまごと子供と大人が混じった非常に中途半端な姿をしているのです。
「デミ」はそんな様子を表しているのではないかと思います。
ゲームオーバーについて
ここはまだ考察が十分ではないのですが、ゲームオーバーについて思ったことを書きます。
それはゲームオーバー時の演出についてで、子供の姿のまま食べられてしまったり、落下するのではなく、いったん卵になるのは何を表しているのか、ということです。
子供の姿のままだとあまりに衝撃的すぎるからタマゴにすればOKとなったんでしょうかね。(全然よくない!)
また、赤ちゃんに戻ってしまったルミ先生とタマゴになってしまう子供たちに関係はあるのでしょうか。またまた、カエルタマゴ=孵るたまご?つまり復活はあり得る?などと色々考えてしまいます。
さいごに
いかがでしたでしょうか。今回は主に世界観について考察してみました。
また違う観点からも考察していきたいと考えていますので、楽しみにまっていてくださいね。
では!